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International Herald Tribune - Fri 22nd October 2010
インターナショナル・ヘラルド・トリビューン
2010年10月22日

2010-10-22

アートとごみが出会い人生を変えていく

キャロル・キノ
2010年10月22日

写真家ヴィック・ムニーズは、自分の事をアメリカのアーティストだと考えているが、イメージの扱い方は完全に自分が生まれ育ったブラジルによって育まれたものだという事をしばしば話す。

「私は軍事独裁政権の申し子ですが、そのような状況では検閲のせいで情報を信用することも、自由に発信することもできません。なので、ブラジル人は柔軟に隠喩や暗喩を扱えるようになります。つまりダブルミーニングを含んだコミュニケーションをとれるようになるんです」と、彼はニューヨークで彼の作品を扱うシッケマ・ジェンキンス・ギャラリーで最近そう語った。

ムニーズの写真は、確かに両義的なイメージに溢れている。一見したところでは、それらは見慣れたイメージやアートの作品を提示しているように見える。しかし、より近くで観察すると、ドリップペインティングを制作中のジャクソン・ポロックを捉えたハンス・ナムスの写真を羊皮紙にチョコレートシロップを垂らして再現した時のように、意表をつく素材が採用されているのがわかる。 他にも、ウォーホルの「ダブルモナリザ」をピーナッツバターとジャムで、そして南北戦争時代の少年のような顔つきの兵士の写真をおもちゃの兵隊で表現したりもしている。

こういった多層的なイメージを使用する趣向が、10年以上前からアート界の常連であるこのいたずら好きな48歳をブラジルで有名にした一つの理由なのかもしれない。シンプルに「ヴィック」と名付けられた2年前から開催されている彼の巡回回顧展は、 ブラジルの5都市で開かれ記録的な動員数を達成している。さらにムニーズ氏はアートにとどまらず、多大な時間と資金を(ブラジルの民主主義において繁栄した)非営利団体に費やし、リオデジャネイロ等のストリートチルドレンに教育や職業訓練を提供している。

雄弁で、その存在感で人を惹きつけるムニーズ氏の活動は多忙を極める。インタビューを行った時も、サンパウロからオーバーナイトのフライトでニューヨークに到着したばかりで、48時間という短い滞在の間に (リオにいない時に住んでいる)ブルックリンにあるアトリエのリノベーションを確認し、自分の作品のディーラーと会って話し、メトロポリタン美術館で非営利団体ブラジルファウンデーションのために開かれたチャリティーパーティーで司会者を務めた。このイベントでユネスコの親善大使に任命されたことも付け加えておこう。

そして今、ニューヨークで金曜日に開演され、数々の映画祭で賞を手にしてきた感動的なドキュメンタリー「ごみアートの奇跡 (原題: Waste Land)」のスターとして、ムニーズ氏はアメリカでも幅広い観客に知られようとしている。

「ブラインドサイト〜小さな登山者たち〜 (原題: Blindsight)」や「カウントダウンZERO (原題: Countdown to Zero)」のルーシー・ウォーカーが監督するこの映画は、ごみで形成された巨大なポートレート写真の進展を追うものだ。2008年に制作され、「ピクチャー・オブ・ガベージ (原題: Pictures of Garbage)」と名付けられたこの作品群は、ムニーズ氏とリオの郊外に位置する130万平方メートルに及ぶ南アメリカ最大規模の屋外ごみ廃棄場ジャウジン・グラマーショでごみ拾いに従事する人たちが共同で制作した。

グローバル政策研究グループ、Wiegoのごみ拾いの専門家であるソニア・ディアスは、ブラジルでは市営のリサイクルプログラムが少ないのにもかかわらず、かなりの割合のごみを再利用できているのは、カタドーレスの名で知られるこの非公式の労働者たちのおかげだと話す。この夏、ブラジル政府は屋外のごみ廃棄場を根絶させ、カタドーレスをリサイクル産業に組み込む法律を成立させた。それでもカタドーレスが社会の底辺層に位置するのには変わりない。映画は、ジャルダン・グラマーショで働く人々が自分たちの運命を切り開き、アートを通して世界に対しての新しい観点を獲得できるようになるためのムニーズ氏の努力を紹介している。

映画は、ブルックリンにあるムニーズ氏の家で始まる。カメラに向かって彼は、「私は現在ファインアートの領域から身を引く段階に入ったと思っています。あまりに排他的で制限も多い場所なんです。私がやりたいのは、人が毎日のように対峙している物事を素材にしてその人たちの人生を変えるということなんです」と話し始める。

ムニーズ氏がグラマーショでカタドーレスと2年間を共にする考えをその当時の妻であるアーティストのジャナイナ・チェッペに告げると、カメラは次にグラマーショの壮大なごみの山の中でファビオ・ギヴェルデルと会う彼を捉える。「私は貧しい環境で育った。今は与えられたものを色々な人たちに返していく時期が来たと思っています」と、彼は言う。

映画がすすむにつれ、カタドーレスたちもまたムニーズ氏と同じく魅力的な強い個性を持った人たちだということがわかってくる。労働組合である大都市圏ごみ処理場ジャウジン・グラマーショ回収人協会の代表チャオ・サントス、捨てられた本を読んで勉強をした学者のようなズンビ、子供の時からグラマーショで働きそのスラム街で育った10代の母親スエレン、夫婦で財政難に陥った時にカタドールになったマグナ等、様々な人物たちが紹介される。惨めで危険な仕事ではあるが、一人一人がその環境的な価値をはっきりと自認している。そして、マグナが言うように、それは「コパカバーナで身を売るよりいい」のだ。

ムニーズ氏はカタドーレスの力を借り、グラマーショで集めたごみを使って古典的なポートレートを自身のアトリエで構成していく(カタドーレスは集めたごみと協力した時間の分の賃金を手にする)。二人の子供とポーズをとるスエレンはルネッサンスの聖母像になり、ズンビはミレの「種まく人」を再現し、チャオは汚れた服や、ペットボトル、捨てられた便器等の海の中でジャック=ルイ・ダヴィッドのマラーのようにバスタブの中で倒れている。


Top, Vik Muniz; above, Vik Muniz and Vik Muniz Studio
The photo, top, and finished piece, above, of Tião Santos posed as David's Marat.

映画も終わりにさしかかる頃には、チャオのポートレートはオークションにかけられ、ムニーズ氏は自分の取り分である5万ドルを労働組合に寄付する。そしてカタドーレスはムニーズ氏のリオ近代美術館での2009年の回顧展を訪れる。オープニングで一人のカタドーレスが記者に向かってこう言う、「時には自分たちが本当に小さく見える時があります。でも、外の世界の人たちは私たちをこんなにも大きく、美しく見ている」。

ムニーズ氏は、運命が悪転していれば自分自身カタドールになっていたかもしれないと認める。そして映画のなかでも「彼らはただ運が悪かっただけだ、でも我々はそれをこれからは変えていく」と語調を強めている。

彼自身は非常に強運な星のもとに生まれてきたと言っていいだろう。サン・パウロの貧しい家庭に生まれながらも、象形文字的な絵で自分を表現する才能が美術学校への奨学金の獲得へと繋がった。そして18歳になる頃には、知覚と光学への強い関心から言葉巧みに広告用掲示板の制作会社での仕事を得て、広告界の神童とも言えるような活躍をする。

しかしそのキャリアは、初めて参加した正装のパーティーへと向かう途中に片足を銃で撃たれた時に突然の終末を迎える。彼を襲った男は告発されることを恐れ、現金を手渡してきたのだ。そして、ムニーズ氏はそのお金でアメリカに来て一旗上げるという決断をする。

1983年にはニューヨークに辿りついていて、ギャラリーシーンが活況を呈するイースト・ヴィレッジに住みながら建設業者として働いていた。そんな中、ある日インターナショナル・ウィズ・モニュメントでジェフ・クーンズの謎めいた掃除機やバスケットボールを使った彫刻作品等に出会ったことが彼の人生を大きく変える。彼はこう語る、「その時私もアーティストになれるということに気付きました。クーンズは私と同じような考え方をしていたのです」。


Vik Muniz and the Estate of Hans Namuth/VAGA, NY
Mr. Muniz's re-creation of a photo of Jackson Pollock made with Bosco syrup.

友人からアトリエスペースを借りると、ムニーズ氏はほこりをためるためのつややかな棚や、プレ・コロンビアンのドリップコーヒーメーカー等のオブジェを作り始めた。そして1988年には、ニューヨークでは初めての個展を開き、ドローイングや写真の作品も作るようになった。

この3つの手法を融合させる方法の発見は、1996年にセントキッツへの旅行の最中に撮った砂糖プランテーションで働く家族のポラロイド写真がきっかけとなった。ニューヨークに帰ってから、 底抜けに明るく写っている子供たちと対照的に、大人たちは何故疲弊しきったように写っているのかを考えていると、それが長年のプランテーションの労働のせいだということに気づいた。そこで、黒い紙の上に白く光り輝く砂糖の粒を使って子供のポートレートを構成し、その写真を撮った。 ニューヨーク近代美術館は、 完成した作品群を1997年の「New Photography」展に選出し、ムニーズ氏の写真家としてのキャリアの始まりを告げた。

彼のディーラー、ブレント・シッケマは「彼は常に光学理論や日常性に興味を示していました。しかし、この展覧会が決定的な転機になったことは間違いないでしょう」と回想する。

マイアミ美術館で「ヴィック・ムニーズ: リフレックス」展と名付けられた2006年の回顧展を企画したキュレーター、ピーター・ボズウェルは、ムニーズ氏は多作で作品が親しみやすいせいで美術の専門家に取るに足らないものだとされることが多いと言う(この回顧展は2年の間にアメリカ、カナダ、メキシコを巡回し、さらに充実した内容でブラジルに渡り8月に閉会した)。「初期の頃から中身のないクレバーな作品だ、という人たちは数多くいました。しかし、そう言う人たちは作品を表面的にしか見ていないに違いありません。ヴィックの作品は、その内にも、その背景にも、そして彼が整えたメカニズムにも深い内容を含んでいるのです」というのがボズウェルの見解だ。

そして、ムニーズ氏がアート界の外にもその野心的な目を向けていることがますます明らかになってきている。ごみをアートにするだけでなく、アートを現金に、そして人の人生をも錬金術的に変えていってしまおうとしている。

この点に関してムニーズ氏は、既に成功を収めている。ギヴェルデル氏は、映画の撮影が終了してから何人かのカタドーレスは新しい仕事を見つけ、ムニーズ氏と映画の制作者たちは27万6千ドルを組合に寄付し、その資金でトラックやコンピューターが購入され、図書館が開かれ、組合が運営する小企業向けのトレーニング・プログラムを始めるための資金を提供でき、その他にも様々な改善が可能になったと話している(ムニーズ氏からは、ポートレートのモデルとなったカタドーレスにさらに5万ドルが手渡されている)。

このプロジェクトは、ムニーズ氏のイメージに関しての考え方をも変えたと言う。「本当に魅惑的な物事っていうのは目の前で起こっているんです。美を探し求めるのに多くの時間を割いたりしますが、本当は常にそこにあるものなんです。そして、もう少しだけ注意深く見れば、それを見ることだってできるんです。」


Vik Muniz Studio
A still from Lucy Walker's "Waste Land."


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