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Artist Interview: Nobuhiro Ishihara
石原延啓
作家インタビュー

2009-10-14

作家インタビュー
実施日; 2009年10月7日(水)
作家;石原 延啓
聞き手;塩原将志
2009年に11月20日より個展を開催することになった石原延啓さんにインタビューを行いました。

(塩原- 以下S); 今回ncaでの展覧会を決めたきっかけは2008年にI-20 Gallery(ニューヨーク)にて開催された個展で作品を見てからです。
ncaは日本人の作家を探しています。日本人の作家を世界に紹介する意味として、考えてみれば当たり前のことなのですが、日本人として文化的/歴史的背景を得、日本人だからこそ感じること、表現できること、独特の感性を強く持っている作家を紹介したいと思いました。そんな時に石原さんの近年の作品コンセプトとncaの主旨が合致したのです。石原さんの作品は日本人独特の世界観を持っています。
それともうひとつ、2008年4月のフィリップスで開催された”Philips De Pury Kyobai, Japanese Art and Cultureで石原さんの作品がアメリカから出展された時に、彼らフィリップスの競売の担当者たちも日本の文化を同じ視点から見ているのだなと確信しました。

(石原- 以下I);日動画廊との関係は、初個展の翌年、1995年に「渋澤龍彦画廊」展(キュレーション;米倉 守氏)に参加させていただいたことがあります。

S; 石原さんとは1989年にニューヨークでお会いしたのが最初ですよね。ちょうど会ってから20年の付き合いになります。
それから日本に帰ってきて、94年に六本木のギャラリー・サカでの初個展で再会しましたね。その後ちょうど僕のお世話になった方が群馬県の片品温泉に新しく旅館(みさわ旅館)を建てた時に、エントランスにかける作品を探されていて、石原さんの作品を紹介して納めさせていただいたのが最初の仕事でした。その時の作品は今でもその旅館に飾られています。

S; ここで石原さんにお話をお伺いしたいと思います。まず、アーティストになったきっかけは何ですか?

I; 父が絵を描くのも観るのも好きで兄弟揃って近所の絵画教室に通わされたりしていました。そういう環境で育ったからか、自然に興味が湧いて幼いころから暇さえあれば自由にドローイングしたり、先生や友人の似顔絵など描いたりしていました。
大学では経済学部に所属していましたが、実際に本格的にアートを学ぼうと思ったきっかけはアートに造詣が深かった高校時代からの親友の影響が強いと思います。また、アーティストになることに対して理解のある家だったというのも理由のひとつでしょうか。
高校までは真剣考えていませんでしたが、大学3年のときに本格的に画家の道へ進むことを決意し、まず美大を受験するための勉強をはじめました。

S; そこでなぜアメリカでアートを学ぼうと思ったのですか?

I; その友人からアメリカのサブカルチャーの情報を吹き込まれていて、ヨーロッパのアートシーンよりも興味がありました。ちょうどキース・ヘリングが来日して青山のオンサンデーズの壁にウォールペインティングをしたりした後で、「こういうのもありなんだ」ととても衝撃を受けたのを覚えています。
実際に渡米してみると、ジュリアン・シュナーベルなどニューペインティングの全盛の頃で、まさに僕のツボに入りました。
とはいえアメリカで学ぶことに決めた理由は特定のアーティストの影響とかではなく、親友から吹き込まれていたニューヨークという都市の持つ魅力が決定的な要因だったと思います。

S;作品表現の中心的なテーマはなんですか?以前はもっと混沌とした抽象的な作品でした。以前の作品とはだいぶ異なりますよね。また過去の作品から近年のテーマに移行したきっかけは?

I;以前は無意識の領域から出てくるイメージを元にオーバーオール的なペインティングを制作していました。今思えばNY時代に触れた抽象表現主義の作家たちから影響を受けていたのかもしれません。
「意識の流れのようなものを画面につなぎ止めた結果、何かしらの象徴的なものになった」というのが僕にとっての「絵画」だと思っていました。ユングの言うところのアーキタイプ(元型)のようなものでしょうか。今でも表現の根底にあるものは変わりませんが、近年は作品へのアプローチの方法が変わりました。ある時期から、まず象徴的な何かしらのテーマを探そうと思いましたが、長い間自分にの中に湧いてくるイメージを当てずっぽうに描いてきたので、いざという時になかなかテーマが決まらなかった。その頃たまたま神話に興味を持っていて「古事記」を読みなおしている時に比良坂(ヒラサカ)に出会いました。黄泉の国の項にある「黄泉比良坂」、創世の神・イザナギとイザナミが袂を分けた場所にとても魅かれた。「現世」と「あの世」という相反するふたつの世界をつなぐ「境界」がとてもゆるやかな坂であったというイメージに強烈にインスパイアされました。丁度神話と同じように自分が生活している「都市」の持つ多層的な構造にも興味があったので、それぞれ異なるレイヤーを繋ぐ「境界」を表現するには最高のテーマを見つけたと思いました。
ただ比良坂を実際に描くとなると、曖昧なものを強く表現するのはとても難しい。理想は能楽の複式夢幻能のようなフォルムをつくりあげることなのですが。よって、そういう複雑なテーマに突っ込んでいってくれる水先案内人(パイロット)として「鹿男―deer man」を登場させたのです。

S; それがdeer manを描き始めた理由なのですね。

I;そうです。象徴的で明快な存在であるdeer manが曖昧な場所である境界(比良坂)に飛び込んでいって、彼(彼女?)がそこで観た要素を抽出していけば、最終的に比良坂の表現につながると思っています。
 
S;2008年ニューヨークのI-20 Galleryにて個展を開催したときもdeer manが登場していますが、今回ncaで発表する作品との違い、また発展 / 展開などありますか?

I; I-20での展覧会では、NYの都市をイメージし、都市の境界、生と死、都市の持つ記憶や歴史などのレイヤーを通り抜けてやってくるものをイメージし表現しました。

S; 映画のゴジラの登場のシーンみたいな?

I; そうですね(笑)。I-20 Galleryではdeer manが境界を抜けてやってくるという存在だというところに焦点をあてましたが、今回もdeer manという重要なキャラクターの紹介であるという点では同じです。皆さんにもdeer man的な役割、あるいは境界について考えてみてもらいたいと思っております。
ただncaでの展覧会では少し趣向を代えて、光と影の関係のようにdeer manは私たちと表裏一体、より身近な存在であるというイメージです。「実はあなたのすぐ側にdeer manはいるのですよ」というような表現にするつもりです。
いつも曖昧な境界をどう表現できるのかで悩んでいるのですが、少し前に十文字美信さんという写真家の著作「澄み透った闇」を読みました。彼は20年ほど前に犬を始祖とするとされる少数民族ヤオ族を訪ねてタイ、ビルマ、ラオス国境の山岳地帯に入り、ヤオの老呪術師のもつ世界観に興味を持ち共に生活することになります。ある儀式に立ち会った時に写真家は「世界はもっと混沌としたものじゃないのか?」と呪術師に問います。それに対して彼は「世界は混沌としてどろどろとしたものだと言ったところでどうなのか?世界を理解するうえでは何の役にも立つまい。わたしの話を聞くことによって生じたあなたの二元的世界観は、二つに分けた世界を片方ずつ別々に想像しているのではないだろうか。混沌とした世界に明確な線を引き、二つに分けた領域を同時に見ることができる接点こそ、われわれが立つべき場所なのだ。左と右、上と下、天と地、陰と陽、それらふたつの世界の接するところにわれわれは身を置いているのだ。そうでなければ地上世界や天上世界、生と死などということがどうして実感できるのか。」と答えます。
僕も緩やかな境界「比良坂」を表現する為に、このような明確な装置を持った作品を作っていかねばならないと思います。曖昧ならば曖昧なまま割り切って今の自分の器を「接点」に置き、自分なりに世界を見通してみるしかないと思う訳です。
今回のncaの展示では光と影、生と死といったようにイメージの違いをはっきりさせようと思っています。それで今はカラフルな作品とモノトーンの両極端の作品を同時に制作しています。

S; ここで制作プロセスを教えてください。

I;制作プロセスとして、まずドローイングをたくさん描きます。過去のものも含めて描きためたドローイングを組み合わせてdeer manなどの対象となるイメージを起こしてペインティングの素材とします。時には15年前のドローイングを使うこともありますし、ある部分についてはいつ頃つくられたものなのか自分でもわかりません。塩原さんは昔の作品から見て頂いているのでご存知かと思いますが、昔はコラージュを多用しおりましたので、イメージを組み合わせて新しいイメージをつくるということは私の作品の特徴のひとつかもしれませんね。
コラージュは偶然に自分の想像とは全くちがう効果が現れたりして、結構その予測外の要素を重要視しています。
あとはよく影響を受けるものとして、本を読みます。神話についてはもちろん、さまざまな分野の本から影響を受けています。今は日本の中世の芸能(能楽、猿楽、立花、連歌など)の本にはまっています。

S; 制作期間はどのくらいですか?

I;制作期間は今回の展覧会の準備期間としては半年くらいです。
展覧会全体をひとつの作品を考えているので、作品1点1点の制作期間というよりは、この展覧会をひとつの作品とした単位でお答えしたいです。
最近では自分の中でウォールペインティングが重要な役割を果たしているので、それなしでは展示が完結しなくなっています。もちろん個々に独立したひとつの作品として成立してはいるのですが、やはりウォールペインティングまで終了して初めてすべてが完成するというイメージで作業を進めています。

S; ウォールペインティングはなぜ重要なのですか?また、はじめたのはいつ頃からですか?


(Installation view at I-20 gallery, 2008)

I;キャンバスの中だけに描き込んで封じ込めているよりも、ウォールペインティングを併用することでイメージが広がりを持って、作品の背景にある世界観へより強く繋がっていける感じがするからです。

最初にウォールペインティングを描いたきっかけは、数年前にドイツのあるキュレーターにスタジオビジットしてもらえる機会があり、丁度自分の描きたい世界が見えかけていた時期で、絵画だけではなく自分の考えている世界観を雰囲気で臨場感を持ってプレゼンテーションしたいと思ったからです。
これは僕にとって転機になるインスタレーションでした。お陰でやりたいことが、更にはっきりしました。
その時のメインキャラクターは熊でしたが、同時にdeer manが初めて登場しました。

S;きっと石原さんに合うものにやっとたどり着いたのでしょうね。アメリカでもウォールペインティングの評判はかなりよかったですよね。

I; そうですね。現代アートでは作家はコンセプトや意味など作品の背景となるものを熟考して鑑賞者が作品へ入り込む回廊を用意する訳ですけれども、表現としてはできるだけシンプルなものを求められるじゃないですか。それが比較的うまくいっていたのではないでしょうか。
実際にdeer manは複雑に入り組んだ場所からひょいと出現する訳ですけれども。

S; 作品の今後の展開は?

I;今はまず「deer man」というキャラクターを紹介するためにポートレートを中心に描いていますが、これからはdeer manが都市の狭間や境界で目にした事象も表現していきたいと思います。
あちこちへ行ったdeer manの視線が最終的には「比良坂」のようなものを想起させるというのが理想です。

S; ありがとうございました。



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