2017 9.14 - 11.4
Installation >>
レセプション:日動画廊(中央区銀座5-3-16)9月14日(木)18:00 – 20:00 (作家も在廊いたします。)
場所:galerie nichido / nca | nichido contemporary art(2会場にて開催いたします。)
会期:日動画廊 | 2017年9月14日(木)-9月28日(木)/ nca | 2017. 9月14日(木) – 11月4日(土)
営業時間:日動画廊 | 月 – 土 11:00 – 19:00 / 土・祝日11:00 – 18:00(日 休廊)
nca | 火 – 土 11:00 – 19:00 (日・月・祝 休廊)
レセプション:日動画廊(中央区銀座5-3-16)9月14日(木)18:00 – 20:00 (作家も在廊いたします。)
この度、日動画廊とnca | nichido contemporary artは、ヴィック・ムニーズ(ブラジル)による個展を2会場で同時開催をいたします。
ヴィック・ムニーズは1990年代初頭から、針金、砂糖、ダイヤモンド、チョコレート、色紙などのさまざまな素材を用いて歴史的な報道写真や、美術史上の名作を再現したものを写真で発表しています。
日動画廊本店では、美術館のカタログや、その作品について言及している美術書及び広報物、インターネットからのイメージを用いた作品シリーズ「REPRO (Reproduction)」からnca | nichido contemporary artでは,実物の素材(3次元)とその素材の写真(2次元)を組み合わせて画面に有機的に構成する最新作シリーズ「Handmade」から13点を発表いたします。
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ヴィック・ムニーズ展に寄せて あるいは「素材とイメージ」について
はじめに - 写真と美術の関係
改めて写真と美術について、あるいは写真が登場(1839年)して以降、美術にどういった影響を与えたか。ここでは、ヴィック・ムニーズを念頭に置きながら探ってみたい。
冒頭「改めて」とはじめたのは、写真と美術については、これまですでに何度か美術の専門家たちが検討を加えてきたからだ。例えば、アメリカの美術史家ロザリンド・クラウスは両者の関係性について、マルセル・デュシャンや1920年代のシュールレアリスム、それから1960年代のアンディ・ウォホールらの写真使用において、写真の美術への影響の変遷を確認している。そこでは、写真が美術、とりわけ絵画とは本来的に異なるメディウムとして捉えており、現実の対象そのものではないー写真は二次元なのでーにせよ、足跡や指紋のような物理的つながりによって、その対象を指し示すイメージとして特徴づけている。また、美術が写真そのものを作品に採用することは無論だが、とりわけデュシャンの場合にように、写真を使用しない場合でも、作品制作のプロセスにおいてその影響が見出されている。言わば写真の操作的手続きの採用とでも言うべき影響が見出されるというものだ。
例えば、デュシャンの作品で、彼が使用したレディメイドの一連の操作(便器を本来使用されるべき場所から目的の異なる展示スペースに移動させた)が、写真の論理と類似しているという点。これは、デュシャンが、写真が現実の一部(断片)を切り取り、別なコンテクストに移動させることが可能であると同時に、移動
しゅてするたびに意味が変わり、あるいはそれを指し示すテキストによって写真から受ける意味(メッセージ)が変化するという写真の操作的モデルを踏襲しているというものだ。
ところで、こうした20世紀以降その影響を強く受ける美術にとって、写真は思いもかけない新たなメディウムであったのかと言えば、否と答えなければならない。デジタルの時代をむかえた21世紀でこそ、デジタルカメラの構造を説明するために高度な専門的知識が総動員されなければならないが、それ以前のアナログ・カメラの構造はいたって簡単なものだ。フィルムを装填しレンズが装備されているとは言え、構造そのものは、中が空っぽの箱=カメラ・オブスクラである。そしてこのカメラ・オブスクラは写真が登場するはるか昔から存在しており、レオナルド・ダ・ヴィンチ、デューラー、フェルメールなど多くの画家が装置として使用していた。そして、そこからヨーロッパの絵画において示すべき世界観の表現に相応しい形式としての遠近法が見出されることになる。カメラ・オブスクラの中で現実世界が像を結ぶという現象は古くから知られており、それはアナログ・カメラにも踏襲され、そこで初めて像の定着=プリントが可能となるのが、まさに写真の発明であったわけだ。つまり、視覚の制度において写真は、決して突然変異でこの世に現れたのではなく、むしろ待望されて登場した新しいメディウムであったのだ。また、写真は、その場でかつて撮影者の目の前にあったものが、まるで今そこにあるかのように手元で鑑賞することが出来る。この単純ではあるが、長年成し遂げることが出来なかったことを写真はわれわれに提供することになる。
と同時に、写真誕生の以前と以後における視覚イメージの変化は、人間の手によって作り出されたイメージからカメラを通じて発見されたイメージへの移行に見出される。
写真が登場した19世紀は、絵画においても新たしい動向が生まれた。その一つが印象派の登場である。写真が現実世界をありのままに伝えるメディウムとして人々に受け入れられるようになると、それまで世界を忠実に再現するという絵画の使命が事実上失われることになる。実際に、肖像画家達は職を失い、ダゲレオタイピスト(発明者であるダゲールもパノラマ画家であった)に転職を余儀なくされた。また、写真が光と影の痕跡を画像化することを知った画家たちは、対象を輪郭によって捉える従来の方法から光そのものを表現として採用しはじめた。ヴィック・ムニーズも取り組んでいるモネの「ルーアン聖堂」の連作のように、光を瞬間として捉えることから、時間的経過による光の変化そのものに表現の軸足を移している。
イメージと素材
さて先述した写真の操作モデルを美術に採用—日常にあるモノをそのまま作品の素材として採用する—するのは、デュシャン以降今日に至るまで、数多くのアーティストが行ってきた。1982年に日本国内の幾つかの美術館を巡回した「今日のイギリス美術」展をかつて学芸員として担当したこ
とがある。今では巨匠の一人となったトニー・クラッグも参加アーティストの一人だった。当時33歳の若手作家だったクラッグは、来日すると幾つかの大きな紙袋を持って東京のゴミ回収所で「選定」したプラスティックのゴミで新作を作った。その内の一つ「東京—ウッパータール」は現在東京都現代美術館のコレクションとなっている。一方、ヴィック・ムニーズがリオ・デ・ジャネイロ郊外にある世界最大のゴミ処理場で働く若者たちとゴミを利用した作品「ピクチャーズ・オブ・ガベージ」を制作する過程を撮ったドキュメンタリー映画「waste land (邦題「ヴィック・ムニーズ / ごみアートの奇跡」)で、ムニーズもまたどこにでもあるゴミを作品に取り入れている。
とは言え、同じゴミを作品の素材にしながらも作品制作の考え方は同じではない。ここではゴミという素材の社会的意味が年々変化していることも制作意図の違いを生むことになる。
ムニーズが一貫して「素材とイメージ」を作品制作に貫流させているのも、素材そのものの同時代的意味を巧みに表象化することに最大の関心を寄せているからに他ならない。1980年代のトニー・クラッグが取り入れたプラスティックのゴミは当時無造作に捨てられるモノであったが、今では焼却、破砕、再利用の流れの中でエネルギー資源やリサイクル資源として再利用されている。そもそも人類が、一人でモノを作り出した太古の時代から、複数の人の手を経、今では数え切れない人が介在することでモノは作り出されている。こうした流れに応じて同じような形をしていながらモノ自体の意味は変容し、そしてゴミとしての意味もまた大きな変化を見せる。ムニーズはこの変化を見逃さない。
あるいは、「Sugar Children」(1996)のシリーズでは、ポスト・コロニアリズムの文脈で、可視化されない、しかし今なお収奪される労働から生まれた砂糖を使って笑顔の子供の肖像を制作し、彼ら彼女らの親が過酷な労働を強いられている現実とのギャップを鮮やかなまでに表出させている。
また、ムニーズは、素材が普段どう扱われてきたという過程=歴史にも注意深い視線を送っている。顕微鏡もなかった時代には不可視の領域にあったモノが、今では光の粒子や波動すら可視化出来る時代にあって、視覚イメージとしての素材に新たな意味を付与することでイメージのリノベーションを進めている。
今回、ムニーズは主に印象派を中心とする19世紀の絵画—エドガー・ドガ、ファンタン=ラトゥール、クロード・モネ、ポール・セザンヌ等—にたいして独自の方法論でオマージュ作品を出品している。これらの作品を最初遠目で観た時、実物を見ていなくとも夥しい数のアナログ、デジタルの画像のお陰で、これら「名画」のイメージはもとより、作者もタイトルもすぐに想起出来る鑑賞者もいるかもしれない。無論、そうと思って絵に近づくと予想に反したコラージュによるある種のトロンプ・ルイユの絵画イメージが写真作品として現れることになる。技法としてのコラージュも写真もこれまで多くのアーティストが試みて来たものだが、ここでは、それぞれのオリジナル作品に纏わる情報—印刷物からインターネットまでーの断片が使われている。かつてのコラージュが新聞や雑誌といった印刷物=モノが使用されていた時代では見ることが出来ない、あるいはその時代には望むことさえ出来なかったインターネットの検索によって得られる情報も入り込んでいる。まさに今という時代でなければ成立しえないコラージュ作品であるのだ。
ムニーズにとって視覚のイメージは、たとえそれがこの世に一つしかないオリジナルであっても、その構図、色彩等の情報は、人それぞれ個体差がある網膜を通して得られる個別的なものとであると認識されている。そこでは、見損なうことも、見間違うこともある。それでも、写真が登場するまでは、オリジナルと直接対峙しなければ獲得出来なかったイメージは、今では、様々な媒体、装置を通して受容可能となった。これは、ヴァルター・ベンヤミンの言うオリジナルのアウラ(オーラ)の喪失(1936年)を意味しているのだが、それからすでに80数年を経て、アウラを喪失させた張本人である写真は、プリントというモノとしてヴィンテージやオリジナルと称されたアウラが溢れる視覚イメージとなっている。ましてや誰もが携帯電話のカメラで簡易に撮影する時代にあって、何がオリジナルで何が複製かと誰も問わなくなった今、ムニーズは改めてイメージの意味を掘り返し、問い直しを行おうとしている。本展では、主にコラージュによって再構築した19世紀の近代絵画とは別に、主に20世紀以降の抽象表現作品—ゲルハルト・リヒターのカラーチャート作品等—を取り上げ、実物とリプロダクションを混在させる独自の方法で視覚に眩惑を与えている。モノとしての作品の中に、現実のモノとイリュージョンをまるで画中画を想起させる方法で構成し、異なる視覚経験の層を作り出している。また、確かにムニーズは、写真を主な表現メディウムとして採用しているが、そこで取り上げる素材—雑誌、デジタル情報、砂糖、キャビア、ダイヤモンド等々—自身が抱える小さな歴史を再構築することで、普段何気なく見ている視覚イメージの背後にある様々なレイヤーを見出す契機を与えてくれるのだ。
天野太郎
横浜市民ギャラリーあざみ野
主席学芸員
<作家略歴>
1961年サンパウロ生まれ。現在ニューヨークとリオデジャネイロを拠点に制作活動中。
近年の主な個展(美術館):21er Haus、ウィーン、オーストリア(upcoming)、Palazzo Cini、ベニス、イタリア(2017)、Museo de Arte Contemporáneo de Monterrey、モンテレイ、メキシコ(2017)、Maison Européenne de la Photographie、パリ、フランス(2016)、Mauritshuis Museum、デン・ハーグ 、オランダ(2016)、High Museum of Art、アトランタ、アメリカ(2016)、Lowe Art Museum、マイアミ、アメリカ(2015)、Taubman Museum of Art、バージニア、アメリカ(2015)、Museo de La Universidad Tres de Febrero、ブエノスアイレス、アルゼンチン(2015)、Musée d’Art Moderne de Saint-Étienne Métropole、サン=テティエンヌ、フランス(2015)、Museum of Contemporary Art、バージニア、アメリカ(2014)、Museo de Arte Contemporaneo Lima、リマ、ペルー(2014)、Tel Aviv Museum of Art、テル・アヴィヴ、イスラエル(2014)、Centro de Arte Contemporaneo de Quito、キト、アクアドル(2014)、Santander Cultural、ポルト・アレグレ、ブラジル(2014)、Long Museum、上海、中国(2014)、Museo Banco de la República、ボゴタ、コロンビア(2013)、Centro de Arte Contemporánea de Málaga、マラガ、スペイン(2012)、Mint Museum Uptown、ノースカロライナ、アメリカ(2012)、Museu Colecção Berardo、リスボン、ポルトガル(2011)、Espaço Cultural Contemporâneo – ECCO、ブラジリア、ブラジル(2011)、Instituto Tomie Ohtake、サンパウロ、ブラジル(2011)、Jeonbuk Museum of Art、Gana Art Center、ソウル、韓国(2011) 他多数。ヴィック・ムニーズの作品は、世界のプライベート、パブリックコレクションに収蔵されている。