identity IX -curated by Reiko Tsubaki-2013 5.10 - 6.8オープニングレセプション: アーティスト:泉太郎 / 磯谷博史 / ヤン=バン・オースト / 苅谷昌江 / ジャナイナ・チェッペ / 林千歩 / Mrs. Yuki[平嶺林太郎・大久保具視] |
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会場:nca | nichido contemporary art
会期:2013年5月10日(金)-6月8日(土)
営業時間:火 – 土 11:00 – 19:00 (日・月・祝 休廊)
レセプション:5月10日(金)18:00 – 20:00
参加アーティスト:泉太郎(Taro Izumi) / 磯谷博史(Hirofumi Isoya) / ヤン=バン・オースト(Jan Van Oost) / 苅谷昌江(Masae Kariya) / ジャナイナ・チェッペ(Janaina Tschäpe) / 林千歩(Chiho Hayashi) / Mrs. Yuki[平嶺林太郎・大久保具視]
この度、nca | nichido contemporary artは、グループ展、“identityIX- curated by Reiko Tsubaki -”を開催いたします。
毎年恒例のグループ展、“Identity”展は第9回目となり、本展では椿玲子氏をゲストキュレーターとして迎え、上記の国内外のアーティストの作品を発表いたします。
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「Identity IX:野生を取り戻せ!人間=動物=エイリアン?」
人間は、言葉によって自我を形成し、理性によって社会を築く動物である。意識を明文化する言葉や数量化する数字は、全ての人間活動を貨幣による交換に一元化する資本主義文明を生み、科学技術や経済システムの高度な発展をもたらした。しかし、結果として人間は、こうした資本主義の末期症状ともいえる高度に発達したコントロール社会の歯車に成り下がってはいないだろうか。さらに、自然に対して高慢になった人間は、地球は人間のためだけに存在するのではなく、我々も地球に寄生する一生命体にすぎないことを忘れてしまったようだ。
例えば、生命体にとって一番重要な本能である生存に関わる様々な欲求、危険を察知する第六感、言葉で説明できない感情や感覚などは、機能優先型の資本主義システムにおいて、動物的な欲求として蔑まれ抑圧の対象となりがちである。また、人間が自然と共存する野生を保ち続けていたならば、権力欲や資本欲に突き動かされて敵を殺戮しつくすような戦争や地球環境を破壊するようなことは行わないであろう。
すなわち、人間は、本来は保持していたはずの無意識の領域と交流する力や第六感とも言うべき野生の勘を失いつつあるといえる。
生命の土壌である地球を人間の浅はかな権力欲やテリトリー争いによって破壊し尽くしてしまう前に、地球に生きる他の種、我々より遥かに前から地球上に生存し、言葉ではなく本能や野生の勘によって生き延びてきた仲間たちに思いを馳せなければならない。また、地球外生命体(その存在はほぼ証明されつつある)から見れば、人間もまたエイリアンである事を知れば、人間の文明における様々な規則や習慣といった前提自体が疑われるべきものになるだろう。 泉太郎は、一見、人間とは違う原理で行動するように見える動物をメタファーとして、自我の差異化、分節化を行ってみせる。
磯谷博史は、地表に降り注ぐ月や星の光に対して垂直に飛行するという、 人間が存在するより遥か昔、4億年ほど前から受け継がれてきた昆虫の習性に感銘を受け、それを作品化してみせる。
Mrs.Yuki[平嶺林太郎・大久保具視]は、遺伝という生命現象を、楽園からの人間追放の象徴であり、知性、性、そして永遠の象徴でもある蛇の一種、ボールパイソンの育成を通じて検証する。 ヤン=バン・オーストは、エロスと獣性を女性から引き出してみせることで、人間‐動物的な存在を提示する。 苅谷昌江も、自分自身が獣の毛皮を被ることで、言語化されない野蛮で混沌とした豊かさを取り戻した人間-動物に変身してみせる。 ジャナイナ・チェッペは、人間というよりはキメラ、もしくは妖精のような存在を作り出すことで、人間とキメラ、あるいはエイリアンの間の境界を問う。
林千歩は、タイ北部で仏像の腹から別の仏頭が出たという実話に基づく荒唐無稽でコミカルな映像によって、出産という生命現象や、仏教的な無限、そして無意識の裂け目を提示する。 このように、他の種に思いを馳せ、人間というアイデンティティを溶解させ、人間的視座を超えたものと向き合うことで、我々は言葉にすることで失われてしまう野生の勘や無意識の領域を取り戻し、無限や宇宙そのものへと通じることができるのではないだろうか。『野生の思考』においてクロード・レヴィ=ストロースが「人文科学の究極目的は人間を構成することではなく人間を溶解することであると信ずる」*と語ったように。
椿 玲子
*)クロード・レヴィ=ストロース(著)、大橋保夫(訳)『野生の思考』みすず書房、1976年3月初刷発行、2002年6月第28刷発行、P296、14-15行
椿 玲子
森美術館アソシエイト・キュレーター、成安造形大学客員教授(2013年度)。京都大学大学院人間・環境学研究科創造行為論修士、パリ第1 大学哲学科現代美術批評修士取得後、2002年より森美術館所属。森美術館では「アーキラボ展」、「アフリカ・リミックス展」、「医学と芸術展」、「フレンチ・ウィンドウ展」、「会田誠展」などを担当。また「MAMプロジェクト」シリーズでは第7、11、16回目を企画、現在「MAMプロジェクト019」を企画中。美術館外では、「agnès b in 祇園」(2004、京都)、「ShContemporary BOD」(2008、上海)、「隠喩としての宇宙」(2012、京都)を企画し、執筆・講演なども行う。
協力:青山|目黒 / GALLERY TERRA TOKYO